Last-modified: Tue, 28 Sep 1999 17:32:28 JST
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もっと遊んでいたいけど、時間があー。
今日のアキバも幸さんと。
VAIO 君の入院。0歳児なので全額保険が適用されます。
メッセサンオーで、某ゲームの前作。
LAOX computer 館で Linux × BSD。
iMac 風スケルトンデザインの布団乾燥機を発見。やっぱり幸さんは怒ってい た。(笑)
池袋に移動して、 幸さん御所望の Chrono Trigger の Original Sound Version。 …の横で True Love Story 2 のドラマ CD (初回特典 SPBOX 付き)を 発見して敗北する。
14F 南蛮屋で夕食。
本業が忙しいと副業の時間が取れないの。 自分でやるつったんだから、自業自得なんでありますが。
某 chat で shigeru さんが 「コンパイラはカーネルリンクに必要だった論」を展開されてます。 で、私としてはそういうのも確かに理由の一つだったと思いますが、 それだけじゃないはずだと、思うっす。
私がまともに UNIX を触り出したのは PC-UX/V のころなので 1988 年前後の気がするのですが、 その頃にはすでに gcc やら GNU-emacs やらが存在していた気がするです。
で、それ以前、特に 1980 年代前半はどうだったかと言うと、 確かにカーネルをリンクするのにコンパイラは必要だったと思いますが、 じゃあその為に cc が附属していたのかと言うと… 当時から cc だけじゃなくて yacc や lex や make あたりも普通の UNIX なら 付いてきていたと思います。 さすがに、yacc や lex があって cc が無いんじゃ お話になりません。 この手の当時の最新ソフトウェア開発技術が使えなくて、何のための UNIX か、 というのはあったと思いますが。つまり、cc が付いてなければ、UNIX としての 価値が半減してしまうので、cc が附属していた。 やはり、pcc を開発した Ken Thompson (だったっけ?) がえらい、と。
それから、当時の文献(確か 1984 年頃のインターフェース別冊、 萩谷先生のフォークの国のアリスのやつ)に、 「お金のある研究室は Lisp-machine を買えるんだけど、 貧乏な研究室が lisp をやろうとすると、 VAX を買って Franzlisp を使うしかなかった」 *1というくだりを読んだ気がします。 やっぱり、当時 UNIX (特に BSD) が普及したのは、 開発環境として売れたというのが大きいと思います。 つまり cc が無ければ、UNIX は普及しなかった。(暴論)
あと、Bell 研によって確立された本来の UNIX の思想の中に、 ファイルに置く情報はバイナリよりもテキストベースであるべし、 というのが確かにあって、 これがソースコード文化をより促進していると思います。 やっぱり Denis Ritchie はえらかった。
あう、つっこまれて気づいた大事なこと。 *1
そもそも、初期の UNIX 自体がソースコード配布だったので、 「ソースコードで配布する」というのが最初からごく普通のことだったというのが 理由として大きいけど、これは気付いてませんでした。
で、アーキテクチャばらばらでソースコードで配布しないと 助からんというのは、 ここでしお兄ちゃんが書いているので特に書かなかったわけですが、 もちろん大きな理由でしょう。
Portable C Compier は Jhonson で、 Ken Thompson は関係ないとの指摘も。うむ記憶がごっちゃになってる。
それから、テキストベースの思想は Ritchie から出たという 証拠はないですね。Bell 研の中で培われてきたのは確かだとは思いますが。
あなたのPC汚染度チェックをやってみる。
1999年 8月 4日 (水) 13時 29分 57秒 現在 あなたは136.4% コンピュータに汚染されています。
解説文は さださんとこと一緒なので略。
設問は二元論的というか設問の視野が狭いし、 なんだかなー。 特にいくつか気になったところを。
chat で質問してわかったので、メモ。
ぶー。
fj をぐるぐるするだけではなくて、 「日記」もぐるぐるしている人です。 ついでに某 chat にも時々出没します。
NetBSD/arc の偉い人のはずなのだが、 hpcmips とか jp.netbsd.org とか newconfig とか citrus とか、 仕事抱え過ぎらしい。:-)
CD-RW ドライブを買ったし、おうちのマシンの構成をいろいろいじる。 楽しいのだが、PC の中身をいじり出すと実に時間を消費するので、 考えものである。結局、3台ある PC のうち Dualon 1台を バラの状態で放置することになる。
一旦寝て午後から起床。display 切替器と VGA ケーブルを買いに 池袋まで幸さんと出ることにする。 目的物以外に Dynafont Type Museum を衝動買い。 一枚 ¥280 の CD-RW メディアを売っていたので買ってみる。
そのままイタ飯屋で夕食。芳林堂コミックプラザを徘徊する。
うーんとですね。 政治って面倒だから避けて通りたい気持ちはわかりますが、 複数のコミュニティが接触するところには必然的に政治が発生しちゃいますので、 どうしても、ある程度の「政治的判断」が必要になるわけですよ。
入院中の VAIO くん退院の報せがあったので、迎えにアキバまで行く。 ついでにぷらっとほーむに寄って、某 Web chat で話題になったキーボードが ないか探しにいくが、sold out の模様。
放置してあった Dualon を組み立てる。 今回、お家 LAN の 100BASE-TX 化で随分出費しているだけど、 それで早くなった実感がない。 EhterExpress Pro+ を二枚も奮発してるのに。 ちょっと調べてみる必要がありそう。
PC98-NX 用の USB キーボードを BP-6 に接続してみる。 ちゃんと認識してくれて、BIOS にも入力できる。 USB のコードをカーネルに入れなくとも Legacy モードで ちゃんと動作してくれているようなのだが…
何と SMP の初期化にコケている模様。SMP 動作してくれない。 キーボード引っこ抜くと動作してくれる。 どうやら Legacy モードエミュレーションが悪さをしているようだ。 さもありなん。 でもこれ Legacy モードエミュレーションの動作原理を理解してないと 想像もできないよねぇ。
ふにふにとやってみる。難しいと聞いていたが、案の定始業式でおしまい。 うーむ、自分でちゃんと探すのが正しいのだろうが、 面倒なので攻略ページを検索なぞしてみたりして。
パンピー代表として、今度は幸さんに あなたのPC汚染度チェックをやらせてみる。
1999年 8月 8日 (日) 23時 45分 53秒 現在 あなたは 54.25% コンピュータに汚染されています。
汚染度はかなり高いです。 立ち直るのはまず無理にちかいでしょうが、 自分で強い気持ちと信念を持てば脱せます。 次のパソコンを買おうとしているなら止めた方がいいかも。 さらに高いところを目指す根性と気合があるのなら、 誰も止められません。 でも、家族や友達の意見に耳を傾けて社会復帰する方が あなたのためかも知れません。
案の定、設問に文句が出る。
知っている単語は、HDD, N88-BASIC, マイコン, Tcl/Tk, LaTeX だそうです。 Tcl/Tk と LaTeX は家にある本の題名や私のTシャツで見て知っているらしい。 (ただし、どう発音したら良いのかは知らないらしい)
なるべくアンチョコは見ないようにしてやってみる。 茜シナリオをクリアしてみるが、難解だ。よく意味がわからない。 特に主人公に何がおこったのか、完全に消化不良のまま終ってしまった感じ。
次に澪シナリオをやってみる。 なるほど、こっちは徐々に周囲に影響が出てくる描写があるので、 原理はわからない(笑)なりに、主人公の立場が汲み取れるよう。
の支援を行うツール、 marmaladeと、 MMLからMIDIファイルへのコンパイラ mml2midのおしらせが fj.sources.d に。
うーむ、bulk なのか。そりゃ ishochronous よかましだが、 MIDI のように実時間性と信頼性の双方が必要となるものは大変だな。 とりあえず draftでも読んでみることにします。
ところで、今の段階ではどんなに気合いを入れて userland から /dev/ugen がしがし叩いても、 isochronous だとお手あげですよね。
週末に書いた アクマくんにお願いの原稿をお家の workspace から commit し忘れてしまったようだ。 この状態で make すると週末に書いた内容がすっぱり Web の 方から消えてしまうからなあ。 という訳で、更新は帰宅してからになりました。
alt.sex.bondage.sco.unix なる Newsgroup があるらしい。 unix が eunuch の複数形なのはわかるが、 sco ってどう取れるのだろうと思って辞書を眺めてみる… scourge かな? どっちにしろ、覗かない方が精神衛生上良さそうだ。
ふみーん。終んないです。寝られるかしらん… なるべく会社以外ではお仕事しないようにはしてるんだけどもね…
mswordview を試してみたけど、 これって Word7 の文章でダメなのね。 Word7 の文章を UNIX で読むには laolaという perl script があるみたいなんですけど、 時間がなくてこれで読めるかまだ試してないです。
ところで、むかーし Compaq 方面から get してきた記憶のある PDF ファイルを home.jp.freebsd.org:~furuta/ あたりに置いてみたりする。 なお、これによって院試がどうなろうと、 とーきょくは一切関知しないのでそのつもりで。:-)
Dualon 突然死だが、一度だけ これと同じ症状が出ている様子。 しかし、このメッセージ自体が /var/log/message に記録されていている訳だから、 これが dying message という訳でもなさそう。
レポートしたいけど、再現性がないのでやりづらいなあ。 今度死んだら、よく調べてみよう。
…と日記を書いてる最中におなくなり。 今度は wdtimeout のメッセージを吐いてないなあ。 うーむ、よくわからん。
ビーフジャーキーをがしがし噛っていたら、 治療済みの歯が抜けてしまった。 歯医者に行かねば…
世間は夏休みらしいです。うえーん。
ふむ。
$ unzip -v hcir1_0a.exe Archive: hcir1_0a.exe Length Method Size Ratio Date Time CRC-32 Name -------- ------ ------- ----- ---- ---- ------ ---- 1136128 Defl:N 241385 79% 10-10-96 09:55 4d6d39e6 HCIR1_0A.DOC -------- ------- --- ------- 1136128 241385 79% 1 file $ unzip hcir1_0a.exe Archive: hcir1_0a.exe inflating: HCIR1_0A.DOC $ uname FreeBSD
進まない。
今日は休みを返上しておしごと。 書いたコード量を数えてみる。 いつからこんなにコードが書けなくなってしまったんだろう、オレは。
今日も会社にいくつもりだったけど、 雨がすさまじいので家で作業することにする。
…疲れた甲斐あって、何とかメドはたってきたようだけど。
こういうのは、上手くやろうとしても難しいから、 最初は「参加することに意義がある」ぐらいが いいんとちゃうかな。
キレる。一日中某ゲームと某ゲームで遊ぶ。
長森シナリオの一部に拒絶反応。
どうでもいいんですけど、私の出身中学は岐阜市立長森中学なんですが、 長森姓を見たのはこれが始めてです。(永森姓はときどき見るんですが)
うーむ、残念です。
技術資料の価値も高いから、せめて過去のものでも読めるように しておいてもらえるととっても嬉しいのですが、 はたから見てる限りは難しそうですね。
うーむ、全然進まない。 たかだか1ページなのに、書き始めると真っ白。
夏休みの宿題は始業式が終ってから徹夜でやってるやつだったり、 するのです。
むりやり仕上げた、というか 精神的にすごく疲れた感じ。
ついでに、pending 中の Chris Torek 論文訳も review してみる。 我ながら困った訳だ。 物は これ。 [newconfig-jp 2114]の条件に従っていただければ、再配布可能です。
某氏から「とある PC が止っているから reboot してくれ」と内線。 何だか再起動しないようなので蓋を取ってみると、CPU ファンが死んでいた。 Pentium 90MHz の Socket 5 というのが、困りもの。 この際、M/B ごと取っ替えてしまおうと、そそのかしてみる。:-)
今回は行かないつもりです。 来年の San Diego (USENIX 2000) は行けたら行きたいです。
土曜日帰りなの? 残念。
28日夕〜29日朝参加予定。例によって車を借りていきます。 帰りは名古屋方面で、31 日まで岐阜に帰省の予定。
TODO:
注意:よく理解せずに以下を試すと大変 危険です。 もし試してみる人は at own your risk で。
1年くらい前にやった FreeBSD の Dual install (確か、2.2.7 と 3.0-current) は、次のように sysinstall を使いました。 現在は boot loader が大幅に変更されているので、 かなり確認が必要ですが、原理的には同じ方法でいけると思います。
だいたいこんな感じです。 現在の boot loader は /usr/src/sys/boot 以下にあります。 たぶん、/usr/src/sys/boot/i386/boot2/boot1.s の ".set PRT_BSD,0xa5" を書換える ことになると思いますが、 私は試してないです。
もちろん、sysinstall なしでインストールできるくらいの力量が ない人は、 こんな危険なことしちゃいけませんですが、 FreeBSD の場合はやっぱり sysinstall を使えないと なかなかインストールする気になれません。
logger の役をもらったので、tape recorder を準備していく。 (めったに使わないんだよねぇ)
途中会社によって Note-PC に関連 ML の archive をコピーしていくが、 あんまり使わなかった。
予定通り 10 時前には御茶の水駅に付くが、目的の日大8号館が発見できず、 ぐるぐる。目標物として「明治大学の隣」という記憶方法をしたのが敗北らしく、 「山の上ホテル」が正解だったらしい。検索に30分ほどかかった。
以降、
と順調に消化。議事録は作業中につき、ちょっと待ってね。
知ってる人いっぱいいたので、いろいろお話したかったんですが、 お仕事抱えてるので挨拶もできなかった無礼をお許しください。
いろいろお名前をみかける人で (たぶん)はじめましての人、箕浦さん、 坂本さん、 電通大の斎藤さん、 伊藤さん、 …他にもはじめての人いっぱいいらっしゃると思うのですが、 どうも頭がよろしくないので、覚えている方だけでも書かせていただきました。 今後ともよろしくお願いします。
筒井くんに宿を提供できずにごめんなさい。 この後、宴会モードに突入。 吉田 (kay) さん、 坂本さん、 NetBSD/sh な brains の堀内さん、 電通大の斎藤さん、 と私を初期値とするテーブルにいました。 濃い話ができて楽しかったです。
やっぱり tape に取って確認しようとすると、時間食うわ。 許さんが原稿を書かないといけないそうなので、 その時点であった未清書な議事録を急いで提出する。
asami さんもドラゴンズファンなのだそうです。
まあ、今年は大変気分がよろしいわけでありますが、 「ドラゴンズ優勝年政変説」とか、 「ドラゴンズ優勝年ラニーニャ説」とか、 新聞でとりあげる話題じゃないと思うぞ... > 東京新聞
346 unit で 5357 位。
やはりそうでしたか。いやー、あおった甲斐がありました。:-) ついでに、1185 が何かと互換じゃないか探してみたんだけど、 こっちは発見できませんでした。
あ、お誕生日おめでとうございます。
なんか、某所から原稿依頼がありそう。
FreeTypeのホームページを見にいったら、Apple が TrueType のレンダリングに関する 特許を保持しているのがわかったそうだ。 現在、FreeType が Apple の特許に関わっていないかを Apple の法務部に問合せ中らしい。
その 怪しいロシア語のページから ソニーのデータシート経由で、DELETE の一番 200 辺で PDF ファイルが get できるようですね。 一応 register description もあるみたい。
ええと、山内さん <mer@interlink.or.jp> という方から つっこみをいただきました。
フリーソフトウェアの観点から言えば、 ソフトウェア特許って邪魔物以外の何者でもないなあ。
うにゅ。帰省するつもりだった 8/31 はほげほげと ブッキングしていることが発覚した。仕方がないので 30 日のうちに 戻ってくることにする。
ダメ度は 96% ダメ人間(当社比) でした。
かなりダメです。 背中を押されたらあっという間に落ちていきます。 もし周りに悪友がいるのなら、すぐに手を切るべきでしょう。 望んでここまできたのなら、更なる上を目指すしかありません。 自分から夏と冬のイベントに行き、いろいろと買い漁り、 好きなアニメのLDやビデオを買い漁り研究する必要があります。 後戻りすることは困難です。 人間としての尊厳をまだ持っているのなら今しかありません。
うぬぬぬ、上を目指しているわけじゃないですが、 悪友って一体誰だろう? :-)
わはは、(^^; 「彼ってば部屋にPCを5台も」ですか。98 と借り物を入れると6台だ... (「PC」でないコンピュータは除外) 一人に三台にしたのは私じゃないとか言われたりしながら同居できてたりするやつがここに一人 :-)
いや、そろそろ何とかしないとマズいかも...
湘南日記放送局(SDB)に捕捉されました。
…というわけで この場合「補完」が正しいと思います。
そういうことを書いてたりするから、「 移植マニア」とか言われたりするのではないかと。 特に「最新入荷」のあたり。
で、Turbo Channel な 100BASE-TX なんてないだろうから、 私も困ってたりするわけです。… PCI な FDDI ってもの高そうだし。
ABIT BP-6 な Dualon が 3.2-RELEASE で安定しない問題ですが、 試しに options SMP/options APIC_IO を外してみたら ピタっと安定しているようです。 やっぱり。
今回の足は緑色のマーチを借りた。 お昼ごろ朝霞を出発して、関越道所沢インターから上信越道へ。 途中富岡-下仁田間の対面通行中に崩れた場所を見たいと思ったけど、 発見できず。
東部湯の丸インターを降りて蓼科方面へ。 まだ時間があったので、途中女神湖で休む。 午後5時ごろ、現地到着。 疲れたので、宿でごろごろする。 午後7時ごろから夕食の焼肉。
その後はうだ話。 JA2YKA の Web page は housing project が動き出せば 無料で収容できるとか。 持参した VAIO の root window の栞さんを発見されて 「そんなダメな人だとは知らなかった」と現役な人に言われたりしたような。 むう、この日記も読まれているらしい。 音無響子な「○○さん、頑張って下さいね」の QSL カードを発見して。 昔からこういうダメな人がいたのだな。 昔(といっても 10 年も前じゃない)は 40 人近くもの 人が参加したこともあったようだが、今年は 10 人ちょいだから寂しいとか。 夜食に JCV 先生作の台湾ラーメンをいただく。
朝食と精算の後、宿の前で記念撮影。 その後、大門峠の事故現場に行って献花してここで解散。
岐阜への移動ルートは 松本 -> 安房峠 -> 高山 -> 白鳥 -> 東海北陸道を使うことにする。 (もちろん、中央道を使うのが圧倒的に早いのは承知の上) 茅野から 20 号、19 号で松本まで移動。意外と時間がかかった。 高速を使った方が良かったかな? 松本市内で昼食、燃料、現金を補給した後、 158 号を西へ。反対車線の松本方面は相当渋滞していた。 しかも、ほとんどの車が県外ナンバーだ。 自転車を積んだ車がかなり多数あるようだ。 まあ、観光地だし夏休み最後の日曜の午後だから仕方がないのかもしれない。
どひー、地元のバスはへーきでカーブではみ出してくるしー。 トンネルは狭いし暗いし。 西行きはそれほど激しく渋滞している訳じゃないけども、 ペーパードライバの身としては結構恐いものが。ちょっと失敗か?
安房トンネルは中部縦貫道の一部で、高速仕様になっていて。 それまでのトンネルとは作りが全然違う。 わしら素人でも安房峠を越えられる時代になったのね、うるうる。
平湯に以前来たのは15年も前だったような気がする。 平湯の街って、こんなに観光地してたっけ? まあ仕方がないか。 街で休むのは止めて、平湯大滝に行ってみることにする。 以前来たときにはマイナーで地元民だけが知っている 何もないちょろっとした滝だったはずなのに、 駐車場まで整備されている。 うお、何で観光バスまでいるのだ? 土産物屋まで開店してるしー。 観光地恐るべし。
高山経由で白鳥方面へ。 岐阜県側の 158 号は長野県側と違って走り易い。 途中、建設中の東海北陸道と並走。 ずいぶん工事は進んでいるようなので開通は近いかも。 白鳥西インターへの標識を発見したので行ってみるが、 どうもこれは中部縦貫道の福井方面のみの開通で 東海北陸道には全くつながっていないらしい。 仕方がないので引きかえして白鳥インターにむかう。 岐阜各務原インターまで1時間もかからないもんなあ。 昔は 156 号を延々3時間ぐらいかかった記憶が。 便利な世の中になったものよのう。
岐阜を午前中に出発して、高速で春日井へ。 幸さんのおばあさん姉妹に挨拶。 8 時までに車を返さなければならないので、 中央道 -> 長野道 -> 上信越道 をひたすら走る。 中央道だけの方が 100Km ほど短いのだが、 渋滞が恐いのと、中央道を降りた後、埼玉方面へ抜けるのに どれくらいかかるか見当がつかないので、関越まわりにする。 外環道か圏央道が中央道までつながっていればねぇ。
下仁田インター手前で対面通行渋滞。 幸さんにお手洗いを要求されてしまったので、 急拠下仁田インターで降りて道路沿のコンビニを探すことに。
所沢インター手前の三芳 PA に 6 時ごろ到着。 楽勝かと思ったら、浦和所沢バイパスが渋滞。 時間がないので、レンタカー屋に直行して、7 時半ごろ到着。 結構余裕がない。(^^;
浦和駅前の壁の穴でスパゲッティの夕食を食べた後、 電車で自宅へ。
今日は一日研修を受ける。 研修内容は… こんなものでしょう。 さすが、大会社が作る研修は違うというか。 7年ぶりに、同じ研修を受けていた達郎さんに会う。
疲れたので、そのまま帰ってパタンキュー。