アクマくんにお願い:1999年12月分

Last-modified: Thu, 06 Jan 2000 15:32:21 JST

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1999年12月09日(木)

入院の記録

11月29日(月)から12月9日(木)まで、入院してました。 元々は各日付ごとに書いたんですけど、 これだけ一度に更新するとかなりの部分が最新部分に入らないので、 12月9日(木)付けでひとまとめにしました。

_ 11月29日(月)

入院の日。

某大学病院に今日から入院。 朝 9:30 に窓口へ。 病棟に案内されて、説明をいろいろ。 病室は6人部屋。 ベッドに行って、荷物を置いたら、もうすることがない。 まだ元気なのにパジャマに着替えるのは、ちょっとイヤ。

担当の先生から、明日の手術について説明を受けて、承諾書にハンコ。 (インフォームドコンセントというやつですね) 全身麻酔は前日の夕食後は絶食で、水も飲めないのでした。 手術前日には全員に出されるという睡眠薬を飲んで 定時(21:00)には寝てしまいました。 うむ、何て健康的な(笑)

_ 11月30日(火)

手術の日。

体温とか脈とか検査の後、 生れて初めて点滴を受ける。 このまま手術中を含め一日中点滴なのだそうだ。 トイレに行くのも点滴を連れていく。

手術は当日二人目の順番なので 予定通りなら昼ごろ開始なのだけども、 先に手術する人(隣のベッドの人だ)の手術が中止になった場合は 繰上げて手術することになるので、 幸さんに早い時間に来てもらう。

結局、手術は予定通り午後(13:30 頃らしい)から開始になる。 手術の前に麻酔のための注射を肩のあたりにしたけども、 痛みのために気分が悪くなってしまった。(唇から血の気が引いていたらしい) 移動用のベッドに乗り移って手術室へ。 おお、天井にランプが一杯だー。

点滴の液を全身麻酔用のものに変えて、 やがて記憶がなくなる… くぅ。 (この間手術中は何があったか、当然ながら全くわかりません。 肺に管を通されて直接麻酔ガスを注入されているとか 口の中を切開されて病巣を摘出されているとか、やってるはずなんですけど) で、ふと気付くと全身あちこちの筋肉がつってる状態で痛いんですけど。 で、楽な姿勢を取ろうと腰や膝を曲げようとすると 「こら、動いちゃいかん」と押えつけられたり。うぐぅ。 せまい手術用ベッドの上なので、仰向けで真っ直ぐな状態の幅しか無いのです。 どうも、本人には自覚がないのですが、結構暴れたらしく、 身に覚えのない絆創膏が足の甲に張ってあったり。(^^;

で、意識の回復を確かめるべく、 簡単な引き算を出題されるんですけど、(100-87 だったかな?) 意識がかなり朦朧としているらしく全然正解に至らないです。 5、6回間違えてから正解して、ようやく手術室から解放されて 病室のベッドへ移された様子。 (15:30 頃らしい) それから、酸素マスクを取り付けられて、ぼーとする。 時々深呼吸をして、 トイレにも行った。 本人はちゃんと歩いている状態でもふらついているらしい。 (しびんを勧められたけど、ちょっとイヤだったから。 うーむ、この際だから経験しておけばよかったか?)

朝から何も食べていない状態なので、空腹。 夕食は食べても良いそうだけど、 4時間の酸素吸入が終了しないとダメだそうで、 18:00 にお膳を持ってこられても 19:30 まで待たされる。 冷めた流動食だけど、空腹が効いておいしゅうございました。

点滴がようやく終って、痛み止めの座薬をもらって、定刻(21:00)に寝る。 体力を消耗していたようで、 すぐに寝つけた。

_ 12月1日(水)

痛みはかなりおさまったが、 予告通り、顔面左側がぷっくり張れる。 左頬がせりあがって目を細めて、上瞼はお岩さん状態に垂れさがる。 鼻が完全につまって、口で呼吸しないといけないのがつらい。 あと、涙の通り道を圧迫しているらしくて、涙がかなり出る。 (手術は上顎左方の唇と歯茎の間を切開した)

午前と午後に点滴。 尿量を計測するためにプラスチック製のカップに尿をして ポリエチレンの袋に溜め込むんだけど、 点滴の後はたくさん尿が出るので、 (今日からは金属針の点滴なので、点滴中にトイレに行けない) オーバーフローするんじゃないかとひやひやものです。

疲れと痛みのために、かなりよく寝ていた気がする。 痛みは薬がなくても我慢できるけど、 やっぱり体力の負担になります。 体温は一日中 37℃台前半の微熱。

_ 12月2日(木)

さらに顔が張れる。 左頬の目の下あたりが特にひどい。 顔面右側も張れる。 左目は張れでほとんど開けられない状態の細目。 依然として鼻づまりで口呼吸。

昼ごろから悪寒がする。 布団が小さくて足が出てしまうので足を覆う布団を追加で 出してもらう。 しばらくして体温を測ると、38.6℃だった。 解熱剤(座薬)をもらって夕方ごろまで寝ると、 かなり汗をかいて楽になった。 体温は37℃台前半まで回復。

左手首と、左右の肘の裏側に、帯状の発疹がある。 環状に赤く張れてかゆい。時間と共に環が膨張していって、やがて消滅していく。 以前、引越し直後に発生したじんましんと同じ症状だが、 その時よりずっと軽い。かゆみも十分がまんできる程度。 (その時にはどうも、引越し直後だけ症状が発生して、 やがて何もせずおさまったので、 部屋の塗装剤に反応したのではないかと思う) 看護婦さんに話をして、皮膚科の先生に見てもらう。 点滴中のビクシリンという抗生物質が原因の可能性も否定できない、 とのことで、別の系統の抗生物質に切り替えることになった。 あと、飲み薬と塗り薬(ステロイド剤)をもらう。

昼間によく寝たせいか、22 時頃目を覚ましてしまい、 夜中に眠れず困った。25 時頃再び寝つく。

_ 12月3日(金)

張れのピークは過ぎたようで、若干楽になった。 鼻づまりも時々おさまって、鼻で呼吸できる時が増えてきた。

朝に教授回診があった。 いやあ、これぞ大学病院の醍醐味(本当か?) 学生さん他をいっぱいひきつれている。 もちろん、教授は担当医ではなくて、知らない人。 上顎の鼻の下を外から押しつけているガーゼを見て、

教授様「これ、昨日取り換えてもらったの?」
わし「いえ、手術の時からずっとこのままです」
教授様「そう」

とやりとりした後、 ぺりぺりとガーゼを剥してそのまま次の患者さんに向っていきました。 で、お付きの先生が持ち歩いているノートか何かに回診のハンコを打って、 一同ぞろぞろと、部屋を出ていきましたとさ。

体調は比較的良くなってきているが、 傷口のプラスチック製のカバーの端が 切開部分の粘膜に当ってこすれるのか、痛い。 患部の処置をする担当の先生が、 今日は担当医の先生ではなくて、代理の若い先生二人で、 まだ不慣れなご様子である。 カバーを一旦外して口腔内の患部に当てられたガーゼを取り除く予定が、 私が痛がるのにおっかなびっくりの様子で、 結局そのままにして消毒だけやってカバーをかけておしまい。 腰が引けてて、お医者様がおっかなびっくりやられると余計痛いんですけど。 思うに、痛がるというのも不意に歯茎や粘膜に 触れられて本人がびっくりしているのもありますし、 患部の状態とか何が行なわれるかよくわからないというのも 痛がる(というか、反応が大きくなる)要因の一つなので、 ベテランの先生とかの「痛いけどすぐ済みますから、ちょっとがまんしてください」 の一言が結構効くと思うのですが、 若い先生だとなかなかそこまで気がまわらないようで。 (というか、何をすると患者が痛がるか、よくご存じなんでしょうね)

今日から尿を採取する必要がなくなった。 点滴の量もかなり減って、1時間もかからないようになった。 これだけでも、かなり気分が楽になる。

手術後、風呂に入れないので、 看護婦さんに体を拭いてもらって気分が良い。 今はドライシャンプーとかあるのね。

今日も夜中に良く眠れない。 うっかり 19:00 ごろから1時間ほど寝てしまったのが敗因。 21:00 ごろ横になるが、寝ついたのは 24:00 頃。 夜中に空腹感が強い。

_ 12月4日(土)

だいぶ元気が出てきたので、 持ってきた VAIO 君をようやく動かして、29 日〜30 日の日記を補完。

口の上半分を覆っていたビニル製カバーを外す。 ちょいと痛かったけど、まあ何とか。 これでかなり楽になった。

同室反対側の患者の K さんが手術を受けられることになったので、 ベッドの位置を交代のお願いをされる。 (こちら側には酸素と吸引の設備があるが、 反対側のベッドには設備がないので、手術の後で困る) 明日の午後、場所を交代することになった。

午後4時頃、空腹になって困ったので、 看護婦さんに相談して五分粥を全粥に変更してもらうことに。 粥以外のおかずは以前と同じ半流動食のまま。 これだけの違いで全然腹のもちが違うようだ。

今日は 21:00 に寝ついたけど、 26:00 ごろ目を覚ましてしまう。 1〜2時間ほど眠れなかった。

_ 12月5日(日)

寝不足気味のせいか、 早朝の体温計測の後朝食まで寝てしまう。

午前中に診察。 傷口にまだよろしくないのが残っていたらしくて、 取り除いてもらうとまだ少し血が出たようだ。 風呂に入ってもよいかどうか質問するが、まだダメとのこと。

お昼すぎに反対側に引越し。

午後からちょっと気分がよくない。 軽い頭痛気味で寝てしまった。 寝ている間にかなり汗をかいた。 目が覚めたら回復していた。

寝る前に 30 日〜 04 日まで日記を補完。 22:30 ごろ寝ついた。 今日は朝まで眠れる。

_ 12月6日(月)

早朝に血液検査と検尿。 病室に新しく H さんが入院してきた。明日手術らしい。 元気になると、寝てるだけがつらいので、VAIO 君でとあるコードを読む。

シャワー許可が出たので、シャワーを浴びてくる。

_ 12月7日(火)

手術の糸をようやく抜いてもらえる。結構痛かった。 これで口を開いた時のひきつり感も直るだろうとのこと。

同じ日に入院して同じ日に手術を受けた I さんが今日で退院。 私は菌の増植が押えられていることを確認できるまでは退院が許可できないらしい。

下校妹ミニゲーム「がんばれ図書委員」で時間をつぶしたり。 だいぶ会得できたみたい。

今日から通常食にしてもらう。 おいしい御飯は幸せであります。

_ 12月8日(水)

検査の結果が出たそうで、特に問題はないらしいので、 明日退院することになった。めでたい。

会社に TEL して、13日から出社できる旨を伝える。

今日二人の人が入院してきて、6人部屋のベッドが全部うまった。 お隣のベッドの人のいびきがなかなか剛毅で、なかなか寝つけなかった。 仕方ないですけどね...

_ 12月9日(木)

退院の日。

お昼まで、何もすることがないのでうだうだする。 幸さんが来たので退院手続きをしてもらっている間に 身の回りを片付けたりする。 何日振りか、パジャマから普段着に着替えて、 病室の皆さんと詰所の看護婦さんに挨拶。 本当はもっとお世話になった看護婦さんにも挨拶したかったですけどね。

久々に病院の外に出る。うむ、シャバの空気はうまい。

アキバ

入院している間にボーナスとか出てるので、 リハビリを兼ねてアキバへ行って買い出し。 HHK-Lite と AT マザーボード(soyo 製 Socket 7) と K6-III 400MHz を買う。

M/B は死んでしまった GIGABYTE の M/B の置き換えだけど、 K6-III は衝動買い。 だって、せっかく M/B 買うのに K6 233MHz ってのは悲しいから。


1999年12月11日(土)

お掃除

かった AT M/B の組み立てというか、 PCI カードいれかえーの、 ディスクいれかえーのして、 今の Windows 端末マシンを K6-III にして、 余った M/B (Asus T2P4) でテスト用マシンを組みなおす。

...前にも書いたと思うけど、まったくパズルですな。 時間がもったいないとは思うんだけど、 多分本人は喜んで遊んでいるのです。

ところが、T2P4 のマニュアルが見付からない。 多分、この本の山の中だろうということはわかってるんだけど... 仕方がないから、本の山を片付けるお掃除を開始する。 ちょっとめくると山のようにホコリが出てくるので、大変なのです。


1999年12月12日()

CD-ROM 不調

以前買った Creative Lab. の 48 倍速 CD-ROM の動作が不調。 CD-ROM にアクセスするとドライブはメディアをびゅんびゅん回すのですが、 (48倍速だから、CD-DA の 48 倍で回してるんだよねぇ) しばらくアクセスにいかないと回転数を落します。 (音でわかる) で、次にアクセスにいくと、また回転数が上るんですけど、 この時に固まってしまう。

正しくは(Windows95 の)ドライバの問題なんだろうけど、 データが CD-ROM に置かれたゲームで遊んでいると かなり頻繁に死んでくれるので、 別のドライブと入れ替えることにする。 またパズルだ。


1999年12月13日(月)

ひげ

入院中ずっとのばしてたんですが、 幸さんにあまり好評でない *1のであごひげだけ剃った。


*1:たわし、らしい。

会社

久々に出社する。

入院前にトラフィックが多いところを いろいろ unsubscribe していったにもかかわらず、 inbox に 1800 通もある。あぅ、読み終らない。うぐぅ。

*BSD BOF 宴会

とりあえず、入院前に *BSD bof 宴会に参加の意思を表明しておいたので、 カウントしていただけたようですが、 二次会の予約もやってもう終了しているとは、さすがに予測できませんでした。

まいいや。まだ病みあがりですから、無理はせず一次会で帰ることにしませう。

燈台下暗し

langua さん日記観察に捕捉されてるのね。ふむふむ。

ちなみに、 *BSD Dairy Links に捕捉されると、たぶん、もっとアクセス数が増加します。:-p


1999年12月15日(水)

おやや

桜田さん日記観察に捕捉されてる...

VersaPad

VAIO くんを 3.3 ベースの PAO3 に上げたら、 resume 後に "psmintr: out of sync (0008 != 00c8)." とか吐いてマウスが動作しなくなったので、早速調査。 FreeBSDの検索サービスから "psmintr sync" で QandA, users-jp, tech-jp, bsd-nomads あたりを 探したら、一発で ここ


1999年12月16日(木)

Free on Free BOF

Free on Freeの参加の為に m-kasahr くんと横浜へ出撃。

内容はまあ良いとして、耳が痛い話がちらほら。 壇上の人達と私を比較して、愛情や技術なら多分そんなに変らない。 しかし、覚悟で負けていると思った。 セキュリティホールを寝る時間を削って塞ぐ覚悟が私にはあるだろうか? そう自問してしまう。 あとは、続けることの重要さ、かな。私には全く欠けている。

「家族の理解」はまさしくその通りなので、苦笑してしまった。 ああ、みなさん同じ苦労をしているのだと。 「原稿料」は重要だと思います。

BOF 終了後、 某店で有名人な人たちと、お食事。 「とこちゃん総監督」な名刺をいただけました。うれしい。


1999年12月17日(金)

某編集会議@四谷

うぐぅ。ネタがないと、どうも墓穴気味。

某編集会議宴会

2000 年 2 月 2 日はすごいそうなのである。 何故かと言うと、全て偶数からできている日、だからだそうな。 何だ全然大したことないじゃん、というと違うらしい。 前回は 888 年 8 月 28 日だから、だそうな。平安時代だな。

ちなみに、全部奇数の日というのも、最近あった。 1999 年 11 月 19 日である。これも凄いらしい。 次回は 3111 年 まで来ないのであるから、だそうな。

で、こういうネタを振るのは某有名なあの人なのです。


1999年12月18日(土)

*BSD BOF

6 時起きの 7 時出発で、池袋、渋谷経由桜木町。 桜木町の改札を出た辺りで、itojun さんに捕捉される。 どうも同じ電車に乗っていたらしい。 バス *1がいたけども歩きでパシフィコ横浜へ。

とりあえず照明係をさせていただきました。 最初のうち、 発表者にスポットライトがあたっていなかったのは私の責任です。(_o_)

それはこすぷれです。子供のこすぷれ写真を自慢してました。 親ばかと言えましょう。銃殺 *2

たれデーモンとか、最小 IPv6 とか、Open Source なぬいぐるみとか。

許さん許さん*3」 で NetBSD の概要を話してくれたのは、 砂川さんではなくて宇羅さんです。


*1:歩きで 15 分のところなのに、15 分間隔の運行ではあまし役に立っとらん。
*2:槍なので刺殺ではないかというツッコミあり。
*3:「ほ(HEO)さんゆるさん」と読みますです。

食事とデザート

某店に行きました。 20 人くらいいて、流石に分割されましたが、 某テーブルは D&D イベントだったらしいです。 私は本物のプログラマでないので、キッシュをいただきました。

福間さん、syscons な横田さん、初めて御会いしました。

ちょっと BOF な反省の話が出て、 やっぱり一コマが短か過ぎではないかと。 発表形式はもう十分だろうから、パネルディスカッションをするべきだろう、 てな話がありました。 A の B でも真っ先に焼肉な話を読みにいく人多いから、受けると思うけどなぁ。

一次会

酔心、おいしゅうございました。 何か、廻りのテーブルが異様にもりあがっているんですけど。 しかし、 写真を宴会に持ってきているあたり、兄ばかと申しましょうか、妹資源の潤沢な方と申しましょうか、 うらやましゅうございますね。

二次会

なぜか、いたりして :-p

アクマくんにお願い」から 80 年代少女マンガな話題になりましたが、 何を振ってもよくご存じで、さすが熊さんです。 とりあえず、「観用少女」と「言の葉遊学」は読まねばらなんでしょう。

*BSD Diary Linksの読者 *1がまた増えたりするかもしれません。


*1:おねぇさんとか、man-jp の偉い人とか


1999年12月20日(月)

SCSI driver

このあたり、私なりにまとめておきますと、

Julian SCSI や CAM は、SCSI のコマンド - データ転送 - status という、 一連の「コマンド(nexus) *1」をベースとしたインターフェースなのです。 しかし、これらのインターフェースは抽象度が高すぎて一部のコントローラ には好ましくありません。似たようなシーケンサーコードが各コントローラの デバイスドライバにばらまかれることになります。

もう少し詳しく言うと、 「コマンド - データ転送 - status」というのは SCSI-1 や SASI の頃の 抽象化であって、現在はこの間にメッセージシステムが入りこんで、 disconnect/reconnect によるバスの時分割利用やら、 エラー制御、コマンドキューイングといった複雑なシステムになっていますし、 これらをきちんとサポートしないと十分なシステム性能が発揮できませんから 良いドライバはこれらをきちんとサポートする必要があります。

さて、このような「メッセージシステム」の取り扱いには ある種の「判断」や「知恵」が必要になってきます。 最近のコントローラ(例えば、AHA29xx 系 "ahc" や NCR 53C8xx 系 "ncr" のチップ等) は、コントローラ内部にマイクロシーケンサーや マイクロプロセッサーを内蔵していて、そのプログラミングによって 「知恵付き」を実現していますが、 安価なコントローラや昔からのコントローラ (例えば、AHA1520 系 "aic" や NCR 53C9x 系 "ncv" のチップ等)は、 「コマンド」「メッセージイン」「メッセージアウト」「データ」「ステータス」 の各フェーズの遷移の度に割り込みを発生して 本体 CPU のプログラミングにこのような判断を委ねています。 前者のコントローラは最小限の割り込みしか発生させませんので、 効率は良いですが、マイクロコントローラのプログラミングが必要になってきます。 後者のコントローラは単純ですが、 一度の転送に何度も割り込みを発生させて、 それが転送効率の低下を招く場合もあります。

さて、 後者のコントローラの場合、 各フェーズ遷移による制御を各ドライバで管理してやる必要があります。 これは disconnect/reconnect やコマンドキューイング等をまじめにサポートしようと すればかなり複雑なコードになります *2が、 これは各コントローラでほとんど同じようなコードになるのです。 そこで、これらのコードの内コントローラ独立な部分をまとめて 抜き出したものが NetBSD/pc98 で開発された scsi_low であると言えるでしょう。

現在の scsi_low は Julian SCSI インターフェースですが、 これを「CAM 化」させれば、 ct, stg, ncv を同時に CAM 化させることになると期待できます。 (もちろん、scsi_low 以外にも変更は必要になるでしょうけど)

ところで、NetBSD/pc98 (or PAO) の "ncv" と NetBSD 本家の "esp" とは 「同じコントローラコア (NCR 53C9x 系)」に対する別のドライバです。 双方のレジスタを比較すれば、同じ系列の variant であることがわかります。 AMD 53C974 (Tekram DC390(無印) で使われているチップ) も 同じ系列の variant です。 昔このことをぼそっと 筒井くんに話したら、あっと言うまに "pcscp" を作ってくれました。 んで、さらにその話を enkai-owner の人に話したら、これを CAM 化してくれました。 しかし Tekram のコードの CAM 化の方がちと早かったのと、 junichi's esp にはコマンドキューイングが無いために accept されなかったらしい *3

私ゃこの CAM 化された esp を PAO3 に移植するべく作業を開始したのですが、 同時期に scsi_low CAM 化の話が出て、どうしようかちょっと迷ってます。 とりあえず、CAM 化された esp は (ncv + scsi_low と同じチップに対する CAM 化という意味で) 参考になるだろうと思われます。

...というような話を nyan さんにしたかった訳なんですが、何かお役に立てますでしょうかねぇ。 *4

ところで、CAM 化の作業の資料ですが、 Writing Device Drivers for the SCSI/CAM Architecture Interfacesのページが参考になるかもしれません。


*1:これを「nexus」と表現するのは間違いのような気がするのですが、 良い言葉がわかりませんでした。
*2:実は現在の NetBSD/pc98 がどれくらいこれらの機能をサポートしているかは ちゃんと把握できていません。 しかしたとえコマンドキューイング等がまだ実装されていないとしても 分離することは「発想として」重要です。
*3:どう見ても esp の方が見通しが良いのだけどねぇ。
*4:書き出したらこんなに長文になっちゃったよぅ。うう、時間がぁ。

ずごーん

お家の幸さんから会社にお電話。なんてめずらしい。うにゃ? 何と、どろぼうさん出現らしい。 仕事中だったけど、急いで帰宅。

家につくと、現場検証は終っていた。 自宅はアパートの二階なんだけども、 どろぼうさんはベランダに登ってガラス扉をガラス切りで空けてロックを外し、 侵入したらしい。

通帳とか有価証券とか、 貴重品は特に盗まれていない模様。 あとは高いものと言えばコンピュータまわりになるのだけども、 特に何も盗まれていない。 幸さんの下着も大丈夫らしい。 (警察に調べるように言われたらしい) 盗難された物はないようだ。

というところですな。 窓が壊されているが、大家さんに電話したら時間が早かったおかげで メンテナンスの人が来てくれて、 丁度引越して空いていた部屋の扉と取り換えてくれたので、 とりあえず物理的にはもう元に戻ったので良いのだけど...

同じどろぼうさんが別棟の部屋にも侵入したらしい。 どうやらそちらは現金を盗まれたらしい。 何つーか、物騒すぎ。 警察やら不動産屋やらのの話によると、この付近 どうやら最近増えているらしい。 精神的にはダメージ大きいっす。


1999年12月21日(火)

Re: こすぷれ

あう、すいません。リンク修正しときました。

買い物

芳林堂コミックプラザにて。 何だか口惜しいから伏せ字にしてみる。

鯨ではありませんってば。

メモ

ここ「とらいあんぐるハート ラブラブおもちゃ箱」ですか...


1999年12月24日(金)

SCSI driver

ええと、"sym" は Symbios (== NCR) 53C8xx 系のドライバで、旧 "ncr" では? "esp" は NCR 53C9x 系で、別物です。

nexusですが、I-T-L nexus は I と T と L の直積に対しては、 同時には高々一つの「コマンド」しか発行できないのです。 (ご存じだとは思いますけど) Tag queueing はこれだと困るので、 さらに Queue の数だけパラに実行することを許して、 I-T-L-Q nexus と言いますよね。 そういう意味で「コマンドフェーズ ... いろいろ ... ステータスフェーズ」の 一連の流れを nexus と表現できるんじゃないかとフト思ったのですが... 本当は何て言うのが正しいんでしょうね?

しっかし、本多さんたちは一体どうやって "nsp" を書いたんでしょうね? だって "nin" は Workbit の人の作ですし、 どこかにドライバを書く為の資料とか存在するんでしょうか? 実は別のチップで core が同じものが存在するのかなぁ?

"spc" は... もちろん、2.2.x 時代の PAO のドライバがありますけど、 CAM 化されたものは、私の知る限り存在しません。

"scsi_low" の CAM 化は... 時間があれば見てみようとは思います。が、 私の場合昔 "bs" の CAM 化を目指して 結局何もできなかった前科ありますゆぇ... 当時は newconfig の作業を 優先させねばならなかったという理由もありますけど、期待はしないで下さい、 ということで。

妹暖房

ダメな想像。\

Buffer Overflow Vulnerabilities in SSH Daemon and RSAREF2

あの、 これなんすけど、

VULNERABILITY ASSESSMENT: The risk is HIGH. Buffer overflow attacks are common and easy to execute.

とか言われてビビりました。

PLATFORM: Systems running some versions of sshd that are vulnerable are: FreeBSD 3.3R Configuration of NetBSD SSH1 thru SSH1.2.27

とか言ってるし。

FreeBSD の項目、 "Some or all of the following ports may be affected should be rebuilt:" ふむふむ

p5-Penguin, p5-Penguin-Easy, jp-pgp, ja-w3m-ssl, ko-pgp, pgpsendmail, pine4-ssl, premail, ParMetis, SSLtelnet, mpich, pipsecd, tund, nntpcache, p5-Gateway, p5-News-Article, ru-pgp, bjorb, keynote, OpenSSH, openssl, p5-PGP, p5-PGP-Sign, pgp, slush, ssh, sslproxy, stunnel, apache+mod_ssl, apache+ssl, lynx-ssl, w3m-ssl, zope

どひー。マジっすか?

…うにゅ? これって "configure --with-rsaref" のやつだけだよね。 ports の Makefile を見にいく...

結論: FreeBSD の場合、"USA_RESIDENT" を "YES" に設定して make していなければ、 大丈夫。他も copy free なやつは rsaref をリンクしていない はずなので、大丈夫。とりあえず、ひと安心。はー、びっくりした。


1999年12月26日()

地獄

いや、 ここではない。 悪業を重ねたプログラマが落ちると言うインストール地獄。 以前は順調に動いてたとあるアプリケーションがなぜか動かなくなる。 動きが固まる。あるいは、青の不幸。 そいつでないと扱えない重要なデータ。

仕方がない。そいつをインストールしなおす。できた。 よし、使える... しかし、何か変だ。青転。青、青、青。 だめだ、システム全体がおかしい。なぜだ?

仕方がない。OS をインストールしなおす。できた... だめだ、OS のブートで失敗するようになった。

仕方がない。バックアップを取ってディスクのフォーマットからやりなおし。 OS をインストールしなおす。できた... だめだ、まだ OS のブートで失敗する。なぜだ? ブートログを見る。ん? このカードがいけないのか?

仕方がない。PC の蓋を開け、カードを外す。 OS をインストールしなおす。できた... だめだ、まだ OS のブートで失敗する。なぜだ? ブートログを見る。別のカードでも失敗している。

仕方がない。PC の蓋を開け、ブートに必要なもの以外は全部外す。 OS をインストールしなおす。あれ? BIOS まで起動しなくなった。 なぜだ?

仕方がない。PC の蓋を開け、CPU とメモリーとビデオカード以外を 徹底的に外す。スィッチオン。だめだ。何をやってもだめだ。

仕方がない。別のマザーボードを買いなおす。 やった、BIOS が起動した。 続いて OS をインストールしなおす。 だめだ、インストールできない。調べる。 このマザーボードには新版の OS じゃないとだめだとある。

仕方がない。新版の OS へのアップグレードパッケージを買う。 よし、インストールできるぞ。よしよし... だめだ、まだインストール中に固まる。なぜだ? なぜだ? なぜだ? 調べる。また調べる。この SCSI カードは新版では動作しないとある。

仕方がない。SCSI カードの代替を買ってくる。 よし、OS のインストールに成功。ちゃんとブートする。 続いてアプリケーションのインストール。 だめだ、アプリケーションのインストールで失敗する。 調べる。それでも調べる。アプリケーションのバージョンアップが必要らしい。

仕方がない。アプリケーションのバージョンアップパッケージを買う。 インストールに成功。よし、動いた。使えるぞ。 バックアップしておいたデータを元に戻す。 そして、青い画面とともに、最初に戻る。

繰り返す。何度もなんども繰り返す。 果てしなく繰り返す… 無限インストール地獄。

_

この話はフィクションですけど、どうもフィクションとも言えないところが。 私は2回り目のマザーボードが起動しなくなったところで、 キレそうになりました。(;_;) だって、買って半月にもならないマザーボードが何をやっても BIOS すら 起動しなくなるんですよ。前にも同じ症状で別のマザーボードが死んでるし。

で、指圧したり、CPU 取っ替えたり、ビデオカード取っ替えたり、 何やってもダメ状態。あーうー。ダメ元で SDRAM じゃなくて SIMM を差して みたら、突然 BIOS の起動に成功。SDRAM もなぜか使える。

どうも、SDRAM の状態を保存した EEPROM が壊れていて、 正しく SDRAM を認識できない状態になっていた様子。 で、それを戻して SDRAM を初期化して RAM としてアクセス可能にするために RAM が必要な状態になっていたのではいかと推測していますが、なんだかなあ。

とりあえず、二度目のループ(いや、ここまで徹底してはいないけどね) の終りのところで止っていてくれているようなので一安心ですけど、 動いているのは本当に砂上の楼閣というか。

とにかく、私の週末を返してくれ。(;_;)


1999年12月27日(月)

じんましん

うぐぅ。突然発症。出社前にかかりつけの医者に行く。 しかも、入院中のやつと違って、今度のは凄く痒い。 原因物質は何なんでしょうねぇ...

悪の秘密基地

YF さんがしてくれた作業の上にそのままのっかり。 うむ、作業完了。 しばらく待ってクレームが付かなければ公開しますかね。

ふむ。守護神という意味もあるのねぇ。あと、財政後援者かぁ。 へぇ、通常は男性なのかぁ。 日本人だから L と R を間違えて腹を立てたりとか。(違う)


1999年12月31日(金)

今年のこと

うーみゅ。うだうだしている間にもう今年もあと1時間を切ってしまった。

いろいろな意味で大変な一年でした。 モントレーまで行って英語で発表したり、 生れて初めて入院したり、 日記も書き始めました。 結構経験値が増えた一年であります。

では、みなさん、どうか良い年を。


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