アクマくんにお願い:1999年12月上旬

Last-modified: Tue, 14 Dec 1999 17:41:38 JST

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1999年12月09日(木)

入院の記録

11月29日(月)から12月9日(木)まで、入院してました。 元々は各日付ごとに書いたんですけど、 これだけ一度に更新するとかなりの部分が最新部分に入らないので、 12月9日(木)付けでひとまとめにしました。

_ 11月29日(月)

入院の日。

某大学病院に今日から入院。 朝 9:30 に窓口へ。 病棟に案内されて、説明をいろいろ。 病室は6人部屋。 ベッドに行って、荷物を置いたら、もうすることがない。 まだ元気なのにパジャマに着替えるのは、ちょっとイヤ。

担当の先生から、明日の手術について説明を受けて、承諾書にハンコ。 (インフォームドコンセントというやつですね) 全身麻酔は前日の夕食後は絶食で、水も飲めないのでした。 手術前日には全員に出されるという睡眠薬を飲んで 定時(21:00)には寝てしまいました。 うむ、何て健康的な(笑)

_ 11月30日(火)

手術の日。

体温とか脈とか検査の後、 生れて初めて点滴を受ける。 このまま手術中を含め一日中点滴なのだそうだ。 トイレに行くのも点滴を連れていく。

手術は当日二人目の順番なので 予定通りなら昼ごろ開始なのだけども、 先に手術する人(隣のベッドの人だ)の手術が中止になった場合は 繰上げて手術することになるので、 幸さんに早い時間に来てもらう。

結局、手術は予定通り午後(13:30 頃らしい)から開始になる。 手術の前に麻酔のための注射を肩のあたりにしたけども、 痛みのために気分が悪くなってしまった。(唇から血の気が引いていたらしい) 移動用のベッドに乗り移って手術室へ。 おお、天井にランプが一杯だー。

点滴の液を全身麻酔用のものに変えて、 やがて記憶がなくなる… くぅ。 (この間手術中は何があったか、当然ながら全くわかりません。 肺に管を通されて直接麻酔ガスを注入されているとか 口の中を切開されて病巣を摘出されているとか、やってるはずなんですけど) で、ふと気付くと全身あちこちの筋肉がつってる状態で痛いんですけど。 で、楽な姿勢を取ろうと腰や膝を曲げようとすると 「こら、動いちゃいかん」と押えつけられたり。うぐぅ。 せまい手術用ベッドの上なので、仰向けで真っ直ぐな状態の幅しか無いのです。 どうも、本人には自覚がないのですが、結構暴れたらしく、 身に覚えのない絆創膏が足の甲に張ってあったり。(^^;

で、意識の回復を確かめるべく、 簡単な引き算を出題されるんですけど、(100-87 だったかな?) 意識がかなり朦朧としているらしく全然正解に至らないです。 5、6回間違えてから正解して、ようやく手術室から解放されて 病室のベッドへ移された様子。 (15:30 頃らしい) それから、酸素マスクを取り付けられて、ぼーとする。 時々深呼吸をして、 トイレにも行った。 本人はちゃんと歩いている状態でもふらついているらしい。 (しびんを勧められたけど、ちょっとイヤだったから。 うーむ、この際だから経験しておけばよかったか?)

朝から何も食べていない状態なので、空腹。 夕食は食べても良いそうだけど、 4時間の酸素吸入が終了しないとダメだそうで、 18:00 にお膳を持ってこられても 19:30 まで待たされる。 冷めた流動食だけど、空腹が効いておいしゅうございました。

点滴がようやく終って、痛み止めの座薬をもらって、定刻(21:00)に寝る。 体力を消耗していたようで、 すぐに寝つけた。

_ 12月1日(水)

痛みはかなりおさまったが、 予告通り、顔面左側がぷっくり張れる。 左頬がせりあがって目を細めて、上瞼はお岩さん状態に垂れさがる。 鼻が完全につまって、口で呼吸しないといけないのがつらい。 あと、涙の通り道を圧迫しているらしくて、涙がかなり出る。 (手術は上顎左方の唇と歯茎の間を切開した)

午前と午後に点滴。 尿量を計測するためにプラスチック製のカップに尿をして ポリエチレンの袋に溜め込むんだけど、 点滴の後はたくさん尿が出るので、 (今日からは金属針の点滴なので、点滴中にトイレに行けない) オーバーフローするんじゃないかとひやひやものです。

疲れと痛みのために、かなりよく寝ていた気がする。 痛みは薬がなくても我慢できるけど、 やっぱり体力の負担になります。 体温は一日中 37℃台前半の微熱。

_ 12月2日(木)

さらに顔が張れる。 左頬の目の下あたりが特にひどい。 顔面右側も張れる。 左目は張れでほとんど開けられない状態の細目。 依然として鼻づまりで口呼吸。

昼ごろから悪寒がする。 布団が小さくて足が出てしまうので足を覆う布団を追加で 出してもらう。 しばらくして体温を測ると、38.6℃だった。 解熱剤(座薬)をもらって夕方ごろまで寝ると、 かなり汗をかいて楽になった。 体温は37℃台前半まで回復。

左手首と、左右の肘の裏側に、帯状の発疹がある。 環状に赤く張れてかゆい。時間と共に環が膨張していって、やがて消滅していく。 以前、引越し直後に発生したじんましんと同じ症状だが、 その時よりずっと軽い。かゆみも十分がまんできる程度。 (その時にはどうも、引越し直後だけ症状が発生して、 やがて何もせずおさまったので、 部屋の塗装剤に反応したのではないかと思う) 看護婦さんに話をして、皮膚科の先生に見てもらう。 点滴中のビクシリンという抗生物質が原因の可能性も否定できない、 とのことで、別の系統の抗生物質に切り替えることになった。 あと、飲み薬と塗り薬(ステロイド剤)をもらう。

昼間によく寝たせいか、22 時頃目を覚ましてしまい、 夜中に眠れず困った。25 時頃再び寝つく。

_ 12月3日(金)

張れのピークは過ぎたようで、若干楽になった。 鼻づまりも時々おさまって、鼻で呼吸できる時が増えてきた。

朝に教授回診があった。 いやあ、これぞ大学病院の醍醐味(本当か?) 学生さん他をいっぱいひきつれている。 もちろん、教授は担当医ではなくて、知らない人。 上顎の鼻の下を外から押しつけているガーゼを見て、

教授様「これ、昨日取り換えてもらったの?」
わし「いえ、手術の時からずっとこのままです」
教授様「そう」

とやりとりした後、 ぺりぺりとガーゼを剥してそのまま次の患者さんに向っていきました。 で、お付きの先生が持ち歩いているノートか何かに回診のハンコを打って、 一同ぞろぞろと、部屋を出ていきましたとさ。

体調は比較的良くなってきているが、 傷口のプラスチック製のカバーの端が 切開部分の粘膜に当ってこすれるのか、痛い。 患部の処置をする担当の先生が、 今日は担当医の先生ではなくて、代理の若い先生二人で、 まだ不慣れなご様子である。 カバーを一旦外して口腔内の患部に当てられたガーゼを取り除く予定が、 私が痛がるのにおっかなびっくりの様子で、 結局そのままにして消毒だけやってカバーをかけておしまい。 腰が引けてて、お医者様がおっかなびっくりやられると余計痛いんですけど。 思うに、痛がるというのも不意に歯茎や粘膜に 触れられて本人がびっくりしているのもありますし、 患部の状態とか何が行なわれるかよくわからないというのも 痛がる(というか、反応が大きくなる)要因の一つなので、 ベテランの先生とかの「痛いけどすぐ済みますから、ちょっとがまんしてください」 の一言が結構効くと思うのですが、 若い先生だとなかなかそこまで気がまわらないようで。 (というか、何をすると患者が痛がるか、よくご存じなんでしょうね)

今日から尿を採取する必要がなくなった。 点滴の量もかなり減って、1時間もかからないようになった。 これだけでも、かなり気分が楽になる。

手術後、風呂に入れないので、 看護婦さんに体を拭いてもらって気分が良い。 今はドライシャンプーとかあるのね。

今日も夜中に良く眠れない。 うっかり 19:00 ごろから1時間ほど寝てしまったのが敗因。 21:00 ごろ横になるが、寝ついたのは 24:00 頃。 夜中に空腹感が強い。

_ 12月4日(土)

だいぶ元気が出てきたので、 持ってきた VAIO 君をようやく動かして、29 日〜30 日の日記を補完。

口の上半分を覆っていたビニル製カバーを外す。 ちょいと痛かったけど、まあ何とか。 これでかなり楽になった。

同室反対側の患者の K さんが手術を受けられることになったので、 ベッドの位置を交代のお願いをされる。 (こちら側には酸素と吸引の設備があるが、 反対側のベッドには設備がないので、手術の後で困る) 明日の午後、場所を交代することになった。

午後4時頃、空腹になって困ったので、 看護婦さんに相談して五分粥を全粥に変更してもらうことに。 粥以外のおかずは以前と同じ半流動食のまま。 これだけの違いで全然腹のもちが違うようだ。

今日は 21:00 に寝ついたけど、 26:00 ごろ目を覚ましてしまう。 1〜2時間ほど眠れなかった。

_ 12月5日(日)

寝不足気味のせいか、 早朝の体温計測の後朝食まで寝てしまう。

午前中に診察。 傷口にまだよろしくないのが残っていたらしくて、 取り除いてもらうとまだ少し血が出たようだ。 風呂に入ってもよいかどうか質問するが、まだダメとのこと。

お昼すぎに反対側に引越し。

午後からちょっと気分がよくない。 軽い頭痛気味で寝てしまった。 寝ている間にかなり汗をかいた。 目が覚めたら回復していた。

寝る前に 30 日〜 04 日まで日記を補完。 22:30 ごろ寝ついた。 今日は朝まで眠れる。

_ 12月6日(月)

早朝に血液検査と検尿。 病室に新しく H さんが入院してきた。明日手術らしい。 元気になると、寝てるだけがつらいので、VAIO 君でとあるコードを読む。

シャワー許可が出たので、シャワーを浴びてくる。

_ 12月7日(火)

手術の糸をようやく抜いてもらえる。結構痛かった。 これで口を開いた時のひきつり感も直るだろうとのこと。

同じ日に入院して同じ日に手術を受けた I さんが今日で退院。 私は菌の増植が押えられていることを確認できるまでは退院が許可できないらしい。

下校妹ミニゲーム「がんばれ図書委員」で時間をつぶしたり。 だいぶ会得できたみたい。

今日から通常食にしてもらう。 おいしい御飯は幸せであります。

_ 12月8日(水)

検査の結果が出たそうで、特に問題はないらしいので、 明日退院することになった。めでたい。

会社に TEL して、13日から出社できる旨を伝える。

今日二人の人が入院してきて、6人部屋のベッドが全部うまった。 お隣のベッドの人のいびきがなかなか剛毅で、なかなか寝つけなかった。 仕方ないですけどね...

_ 12月9日(木)

退院の日。

お昼まで、何もすることがないのでうだうだする。 幸さんが来たので退院手続きをしてもらっている間に 身の回りを片付けたりする。 何日振りか、パジャマから普段着に着替えて、 病室の皆さんと詰所の看護婦さんに挨拶。 本当はもっとお世話になった看護婦さんにも挨拶したかったですけどね。

久々に病院の外に出る。うむ、シャバの空気はうまい。

アキバ

入院している間にボーナスとか出てるので、 リハビリを兼ねてアキバへ行って買い出し。 HHK-Lite と AT マザーボード(soyo 製 Socket 7) と K6-III 400MHz を買う。

M/B は死んでしまった GIGABYTE の M/B の置き換えだけど、 K6-III は衝動買い。 だって、せっかく M/B 買うのに K6 233MHz ってのは悲しいから。


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