アクマくんにお願い:1999年06月中旬

Last-modified: Tue, 28 Sep 1999 17:32:09 JST

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1999年06月10日(木)

Monterey

昼間はぼーとしてた。一応、FREENIX track のセッションのいくつかを聞く。

夕方 FreeBSD BOF に出席。続いて XFree86 BOF の後、 Doug Rabson と通訳なしでお話をする。 内容は bsd-nomads の記事について、意見交換をした。 この記事の点については、互いの立場を確認できたと思う。 翌日の 10:30 に terminal room で待ち合わせて続きをすることに。


1999年06月11日(金)

Monterey -> Santa Clara

FREENIX track は浅見さん、itojun さんの presentation を聞く つもりだったのだけども、起きるのが遅れてしまって 浅見さんの前半を見そこねる。 そののち、 Doug Rabson, Peter Wemm, Justin Gibbs らと itojun さん通訳で ミーティング。 モジュール間の依存解決にかんして itojun さんと Peter Wemm あたりが ずいぶんやりとりしてたけど、詳細は不明。 詳細はわからないが、 Peter Wemm の話だと、どうやら new-bus はモジュール依存解決付近で かなり試行錯誤をしているみたい。 newconfig はこのあたりは files ファイルのフラグメントで一発だよん という話に至ったようで、Justin Gibbs が「それじゃ boot の時に 困るじゃん」と claim してたような気がする。 べつに困んないと思うけど、もう少しつっこんだ話もしてたようなので、 そのあたりは良く聞きとれないから、なんとも言えない。 のちに itojun さんと話た内容と総合すると、 device tree や driver tree まわりでは new-bus と newconfig は 関数名やちょっとした構成の違いで merge が不可能というレベルでは ないんだけど、 例えば DEVMETHOD() を使って bus interface をぼこぼこ変えたいという要求があるとか、 今のモジュール依存解決の話とか、 モジュール構成といったあたりでは隔たりが大きくて、 何らかの統合は不可能だろうという結論に至る。

午後の Work In Progress セッションではうっかり寝こんでしまった。 時差ボケというより、連日の疲れかも。

結局土日は itojun さんと IIJ の安岡さんと同じ、Santa Clara の Marriott Hotel に泊ることにする。 itojun さんバンで Monterey を離れ、 今度は 101 号経由で San Jose 方面へ。

ホテルに check-in 後、IIJ america の山本さんと合流して 韓国料理の店で夕食。 オーダとは別に(要するにお通しだ)、 各種キムチ、ナムル、韓国海苔などのおかずが出される。 しかも、おかず皿やご飯(これもオーダとは別に自動的に出てくる)を 食べきると自動的におかわりが足されるシステムになっている。 ここのおばちゃんは韓国語、日本語(関西なまり)、 中国語(どの方言かは不明)、英語を話して、 愛想よくじゃんじゃん持ってくるので、拒否できない。 満腹だ。もう食べきれない。 どうも、客人の皿を空にしておくのは失礼にあたるという 韓国の風習があるらしいのだが、 日本人の食事を残せないという習性を利用した、たくみな攻撃と言えよう。:-p

ホテルに戻って自宅に国際電話して、居所を連絡。 本間さんに連絡して、翌日は案内してもらうことにする。


1999年06月12日(土)

Santa Clara, Silicon Valley 一帯

早朝3時すぎにたまたま目をさましていると、突然ブザーと共に 「ATTENTION!! ATTENTION!!」と館内放送。 「至急 floor を離れろ、エレベーターは使うな」と言ってる様子。 げげ、火事か? passportつき着替えと、航空券、貴重品入りバッグを抱えて パジャマのまま避難する。 VAIO くんやおみやげは部屋の残してしまうことに。 部屋は二階なので、実際はそうあわてる必要はなかったのだけども。 避難中に一階のフロアーで少し煙が出ている様子。 避難後、パジャマの上に着替えを羽織って、様子を見る。 あまり大したことはなさそう。 別フロアーのロビーで、itojun さん、安岡さんと合流。 単なるぼやで、すぐに鎮火された模様。寝煙草かなぁ。 hotelman に安全を確認した後、部屋に戻る。 結局それ以降寝られなかった。ぶーぶー。

本間さんとホテルのロビーで合流後、ベーグルで朝食。 朝食後、Moffett Air Field で Super Flag Dayというイベントに加わる。 幅 2 〜 300 メートルはあろうかという、世界最大の巨大な合州国国旗を 何百人かで広げるというもの。アメリカ人て、こういうイベントが好きだね。 風にあおられてちょっと大変だったけど、面白かった。 California の強い日射しで日焼けあとがひりひりする。

おすすめのハンバーガー店で昼食を取ったあと、 San Jose の Tech Musiumに向う。 Tech Musium 併設の IMAX theatre で Everest という映画を見る。 フィルムは 70mm という大きいもの (普通の映画フィルムの倍の幅にすぎないんだけども、 じかに見ると単に大きいと言うよりは巨大)で、 超広角(客席から見て 120°以上、人間の視野で同時に全体を 見渡すことは不可能) のスクリーンに写しだされる。座席に座るというか、 45°くらい傾いた座席に寝そべって天井のスクリーンを見上げるという感じ。 theatre のドームに球状にスクリーンが張りついていて、その中心付近に 座席があるという感じが近いかも。 画像だけじゃなくて Audio も力が入っている。 スクリーンの裏に巨大なスピーカシステムが前後左右に6基ほどあって、 全空間から音で攻撃される感じ。 この巨大なフィルムをかかえて一体どうやってヒマラヤ山中で 撮影したのだろうと思う。とにかく、すごい。 IMAX って、新宿の高島屋でも見た気がするけど、 日本にもあるんだっけ? 結構おすすめです。

IMAX を出たあと、Tech Musium を見学。 ちょうど名古屋市科学館(と言ってわかる人は少ないでしょうが、 他に対比できるものを知らないんです) を Silicon Valley 風に HiTech 化した感じのものだけど、 Silicon Valley の企業がこぞって出資しているようで、 かかっている予算が全然違う様子。 電子、情報、通信、生物、地学、宇宙あたりの HiTech を実際にいろいろ触って実験を通して理解できるようなシステム。 中高校生あたりの理系の子にはきっとたまらないでしょう。 HiTech はすぐに陳腐化しちゃうので、施設を陳腐化しないように 維持するのは大変だろうけど。 日本では理系離れとか言われてますけど、 もっとじゃんじゃんこういう施設を作って 子供に見せないといけないと思うのでした。

夕食は Mt. View の日本料理屋 SUSHITOMIで寿司。板前さんは日本人で、日本で食べる寿司と比べて遜色なくおいしい。 日本人客でかなり繁盛している。 食後に Mt. View のめぬき通りを散歩。 中国、韓国、タイ、ベトナム、インドとアジア系のお店ばっかり。 数にすると中国系だけで、めぬき通りの全店舗の半数近くを占めている様子。 おそるべし。

本間さん邸。K6-3D を -40°〜 -50°に冷却して 500MHz 動作するマシン。 これは、AMD と共同で開発されたマシンらしくて、 overclock ではあっても overspec ではないそうだ。 ぼや騒ぎで午前3時に起きたせいか、つい眠ってしまい、 hotel まで送っていただく。


1999年06月13日()

Santa Clara -> SFO -> 成田

本間さんの車で SFO へ。 Counter で check-in を済ませるが、 Counter では混んでいるようで座席は確定できないらしい。 格安航空券なので、ある程度は仕方がないのだが、 説明を求めてもあとであとでと引き延して 最終搭乗案内が出るまで座席を出さないとは一体どういう了見だ? しかも、ちゃんと知らせるからと言っておいて自分たちでは動いてないじゃないか。 こういうのは、今どういう状況にあるのか、きちんと説明せんかい。 本当に帰国できるか不安になったり。 かなり腹がたったので、当分 United Airline は使ってやらないことにする。


1999年06月14日(月)

成田 -> おうち

機内で3時間ほど睡眠。 アメリカに行って帰ってくると一日どこかに紛失してしまうようにな気がする。 Narita Express で新宿経由で帰宅。 狭いと言えど我が家が一番。11 時ごろ睡眠。


1999年06月15日(火)

今日くらい休みにすればいいのに

どうせ時差ボケで夜中に起きるだろうとたかをくくっていたら、朝まで熟睡。 疲れてたのかしらん。まぁ、時差ボケを直すのにはいいんですけど。 出社したら、多量のメールにくぅ。 想像通り、今日は仕事にならん。

Free on Free, もう締切だって。 これで 150 なんて足りないに決ってるじゃん。何考えてるんだか。 しかも Internet Unreachable な時にこんなアナウンスされたって反応できないー。


1999年06月16日(水)

おうち -> 盛岡

盛岡に出発。大宮からやまびこ自由席で座れた。 宇都宮から盛岡までうつらうつら。

SS99 registration。 奥州藤原氏の話で、睡魔。つらいっす。

SS99 レセプション。 ぼそっと mieko さんに自費渡航の話をすると、 某えらい様のお耳に入ることになり、 渡航費用は何とか。\(^^)/

宿の盛岡グラウンドホテルへはタクシーで。 市街地から遠いぞ。 しかし、部屋は良い。これで3泊朝食付き ¥21000 は安いと思う。


1999年06月17日(木)

盛岡

朝、起きられずに西中さんセッションをぶっち。(_o_)

昼、わんこそば 102 杯。本当は 60 杯あたりで逃げるはずだったのにー。 多人数でわんこそばに挑戦した場合、 順次脱落者が出るため、 脱落しそこねると 終盤で時間あたりの供給そば量が急激に増加することを学習する。 さらに、その場合のわんこそばプロセス終了プロトコルは邪悪である。

午後、晋一郎さんから後半セッションをぶっちのお誘い。 Sapid プロジェクトについて聞く。面白そうですねぇ。 こういうのすごく欲しいです。FreeBSD people にも受けるでしょう。 ただ、FreeBSD people は CVSweb みたいなのに慣れているので、 時間軸で追い掛ける仕組みを入れないと辛いかなあ、てな感想。

盛岡市内見物を兼ねて宿へは徒歩。

わんこそばのたたりで、強烈な下痢に襲われる。


1999年06月18日(金)

盛岡

朝一で自分のセッション。時間オーバーぎみ。 何を話したか良くおぼえていないけど、 ほとんど提出したスライド通りの内容のはず。 とりあえず、FreeBSD で活動しているやつというのは 覚えてもらったような気がする。

続いてオープンソースのセッション。 座長に「うちでそんなことをやっていたのか、知らんかった」と言われる。 deja vu だ。 「オープンソースの開発手法は一般のアプリケーションにも応用できるか」 という質問が頭に対して、 「オープンソースの開発手法は開発者がユーザである必要がある。 モチベーションの高さを維持するためにはこの条件が必須。 だから開発者がユーザになり得ないアプリケーションはオープンソースでは 開発できない」 というような内容の発言をしたんですが、ちょっと暴論だったかも。

昼、いくらどん。sea 長老連と。 山崎さんは何でそんなことまで知っているのか謎。

ラブひな3巻を査収。 岩手公園を徒歩観光。

体調が思わしくないので、宿についたら爆睡。


1999年06月19日(土)

盛岡 -> おうち

啄木新婚の家を発見。「啄木新婚の家口」バス停。

おみやげ月の輪純米吟醸。 Max やまびこ初搭乗。 一ノ関で列車待ちの間にもち弁当。

kiwi がブートしない。 モニタを居間から運んできて接続して、ブート。 どうもメインディスクの Bigfoot 12GB がお亡くなりの模様。 最後のバックアップは去年の年末だ。ずごーん。

TLS2

渡米前やりかけの TLS2 の続き、丘野さん TRUE。森下さん NORMAL も可。

_ 回収アルバム

_ 君子ノート

_ アルバム

4人(森下、かすみ、早苗、丘野)がレアイベントでスタック。


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