アクマくんにお願い:1999年06月上旬

Last-modified: Tue, 28 Sep 1999 17:32:08 JST

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1999年06月06日()

成田 -> San Fransisco -> Monterey

品川から快速のグリーン席で成田へ。結構快適。 国際便のマージンは2時間(カウンタに出発の2時間前に来ないといけない) ある上に、UA838 は予定より出発が50分遅れることに。 成田には集合時間の一時間前に着いたので、4時間ほど時間をつぶすハメになる。 空腹を満すためにスパゲッティを食べた後、 ぼーっとテラスから離発着を眺める。

機内ではエコノミー窓側の C 席。 窓側の隣りは白人男性と東洋人女性のカップルで、US 市民らしい。 (結構機内でいちゃついてたぞ) 女性は席を立つときに「すいません」と言ってるので、native 日本人だと思う。 何度乗っても飛行機の離発着は恐い。 数日間寝不足だったので、安定飛行に入ったとたんうつらうつらとなる。 一時間ぐらい後に機内食で起される。機内食は和風のチキンを選択。 食前に寝てしまったので、寝れないかと思ったが、何とか睡眠モードに入る。 うつらうつら状態のまま SFO 上空へ到達。 着陸のための旋回でちょっと酔う。

入国時に足止めを喰らう。 成田のカウンタで入国申請書 I94W をもらったので、 機内で配っていた書類は "No thank you" だったのが失敗。 入国申請以外に別途物品申告書が必要らしい。ごーん。 とりよせてもらった(日本人向け)申告書に急いで記入してパスできた。 やっぱり listning 力がかなり足りないのが失敗だね。

入国手続きを終えて萩野(itojun)さん、WIDE, CRL の小林さんと合流。 小林さんは一時間ぐらい後の便だったんだけど、 結局出発遅延と入国時の足止めで逆転されてしまった。 荻野さんのレンタカー(バン)で Palo Alto の宮川邸にむかう。 途中、ちょっと道を迷ったけど、無事宮川邸に到着。 宮川夫妻から昼食をごちそうになる。 パンにバターを塗る代りにバルサミコ+オリーブオイルに浸して食べるのが Palo Alto 近辺の風習らしい。イタリア由来のものかもしれない。 カルフォルニア産の無農薬いちごは実がつまって絶品。 空腹を満されると睡魔に襲われるが何とか持ち堪える。 昼間に寝ちゃうと時差ボケが悪化するしね。

宮川夫妻と別れて Santa Cruz 経由で Monterey へ。 途中 San Jose から Santa Cruz への山道でうっかり寝てしまう。失敗。 Monterey に到着後、Bay Books で Monterey と San Francisco の地図を買う。 午後遅かったので、USENIX の registration は終っていた。明日にしよう。 車で宿の Monterey Downtown Travelodge を探す。すぐにみつかってよかった。 本間さんに連絡を取ろうと思ったが、電話がつながらない。 疲れていたので、寝ることにする。


1999年06月07日(月)

Monterey

FreeBSD 3.2 CD-ROM USENIX special edition を $530 で買う。 (ただし、NetBSD-1.4, OpenBSD-2.5, Debian GNU/Linux 2.1 CD-ROM, proceedings 2冊、USENIX 出席権付き)

Marriott の端末室で溜っていたメールを読む。 いやー、Internet ってほんとに便利ですねぇ。 FREENIX の Session Chair の Devid Greenman から Biograph を 送れとメールがあったので送る。 Monterey Downtown を散策した後、 発表の準備(というか、プレッシャーで落ちつかない)で宿に戻る。 プレッシャーと旅の疲れと時差ボケで夕方ぐらいにうっかり寝てしまう。 時々目をさましつつ、そのまま翌朝まで寝ることになる。


1999年06月08日(火)

Monterey

発表の準備をしなければならないが、気がすすまない。 Fishermans Wharf や Canary Row を散策して、 幸さんへのお土産 T-shirt を買う。 その後 Monterey Bay Aquarium へ。

夕方から NetBSD の BOF に出席する。 デバイスドライバなんか、他の *BSD との協力が重要だね、という文脈 (よく聞きとれないので本当にそういう文脈での話だったかは わかんないですけど、まぁ何となく聞きとれた範囲内では) で、FreeBSD で newconfig やってるやつがいるよんと、 itojun さんから紹介されてしまう。あうあう。

その後、長さん、itojun さんと明日の発表のミーティング。 発表内容もいまいちだし、speaking もダメダメなことが発覚。 発表内容をまる暗記して原稿を見ないで話すべきだとさとされるが、 時間もないし、もとから原稿を見ながら発表するつもりでいたので、 (アドリブで英文を考える能力なんてもともと無いから) 原稿を読みあげる練習だけでもしようということに。


1999年06月09日(水)

Monterey

昨日は良く寝ていたせいか、それとも緊張のためか、 午前3時に目が醒めてしまう。 朝出かけるまでに5回まわりくらい speaking してみる。 opening とかぶっちして、itojun さんと発表内容についてミーティング。

FREENIX track の午前のセッションの時に Divid Greenman に合う。 どうも昨日送った Biograph では不足なようで、午前の セッションが 終ったあとでもう一度話をすることに。 terminal room で決定稿を print out して、FREENIX track の午前の セッションをぶっちして speaking 練習。McKusic の soft-update の 話は聞きたかったような気もするけど、仕方がない。 午前のセッションの後、FREENIX の会場へ。 Divid Greenman に FreeBSD 歴とかについて質問される。

本番は itojun さんに OHP めくりをお願いする。 発表中は頭は真っ白。 ただただ、聞きとりやすく英語らしい発音をするように集中する。 speaking はほぼ予定通りの 20 分ほどで、質疑応答は完全に itojun さん任せ。 5 分ほどで質問は終って、ちょっと早いけど私の presentation は終了。 発表後、Doug Rabson, Peter Wemm, Divid Greenman, Justin Gibbs, Julian Elisher らとお話。 (でも私は聞きとれないから、ほとんど itojun さんが受け答え) その時の内容は、bsd-nomads を参照。 発表自体は練習の甲斐があってかわりかし聞きやすかったようだ。 ホテルのロビーで「Hey, are you newconfig guy?」と面識のないおじさんに よびとめられて握手を求められる。 「nice presentation」と言ってもらえて、大変気分が良い。

午後の続きのセッションを聞く。 coda を Windows に移植した発表の presentation は秀逸。 presentation program を有効に使い、 スクリーンだけで(talk がなくても) 現状、問題点、解決法がわかる発表だった。 もちろん、talk のほうも大したものだと思う。 なにしろ、私でも笑いどころがわかるくらいだし。 presentation の手本を見せていただいた気がする。

その後 FreeBSD のブースで Mike Smith と合い、名刺交換。 配給された :-) ピザをほおばりつつ、各所のブースを見てまわる。 さすがに早く起きたせいか、緊張のせいか疲れが出てきて、 ビールを飲んだらくらくらきた。 Global Technology Associates, Inc. の Larry Baird 夫妻と知りあいになる。 奥さん(ミカさん) は日本人で結婚1年ほどになるらしい。 旦那さんは FreeBSD user である。 そののち、Monterey Bay Aquarium での USENIX reception は 夫妻と一緒に周ることにする。 ミカさんは日本語に飢えていたみたいで、私もそろそろ 言葉のストレスが溜ってきているころだったので、いろいろ日本語でお話をする。

有意義な一日であった。 reception が終るころにはもうくたくた。宿に帰って爆睡する。


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